どうも茶々丸です。
この記事を書いている日は夏至で、明日は満月というエネルギーが極大化するフェーズにいます。
その影響か、とても眠いです。
エネルギーがあふれれすぎているのか?
体がそのエネルギーを受け止めきれずに疲れているのか?
とにかく眠いです。
助けて!
さて、そんな中今回は僕自身の中で今起こっていることについてお話しします。
ひとことで言うと「もう愛しか残っていない」と言うことです。
■ 自己認識の旅
僕はよく言うんですが、「他人は自分の投影だ」と。
この考えにどうやってたどり着いたかというと、高校が仏教系の学校で、そこで瞑想を学ぶうちにそういう境地に至ったのです。
他人とは自分の可能性や一面を映し出す鏡であることに気づいたのです。
■ 無我の概念
仏教用語で「無我」という言葉がありますが、これは自己がないことを意味します。
つまり、自分だと思っていたものはエゴであり、実際には大いなる存在の一部であり、他人もその一部なのです。
この世界には大いなる存在しかない、そんな感じです。
■ 全てが幻
最近、人間同士が争っていることが多いですね。
戦争だけでなく、意見の食い違いで対立することも。
ですが、それすらも愛おしいと感じます。
全てがプロレスのように見えるのです。
みんなが必死になっているのは理解していますが、それは全て幻なのです。
全てが幻だと理解すると、平和な気持ちになります。
ニヒリズムではなく、全てが完璧で愛おしいと感じるのです。
争いや対立すらも必要な要素であり、全てが完璧にデザインされています。
宇宙の采配は完璧なのです。
■ まとめ
人生には無限の選択肢と自由が存在します。
どのように生きるかは全て自分の自由です。
目覚めようが眠ろうが、全てが自由であり、全ての選択が尊重されます。
そう、本当に自由なんです。
そしてみんなが自由に争ったり、不安になったり、愛を謳歌している姿を僕は愛おしく感じてしまうのです。
煽りでもなんでもなく、素直にそんな気持ちなのです。
もしかしたらこの境地こそ、心穏やかに生きていく秘訣なのかもしれませんね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。
お相手は茶々丸でした。
またね、バイバイ。